LOGINそんな余裕は、すぐにかき消されたからだ。
うなじに吹きかかる彼女の吐息は、驚くほど熱い。体温計など使わずとも、背中から伝わってくる尋常ではない熱気が、彼女の容態の深刻さを物語っていた。一歩、また一歩と歩みを進めるたび、ユウの首に回された彼女の腕から力が抜けていくのが分かる。意識が遠のき始めているのか、彼女の頭はユウの肩に深く沈み込み、荒い呼吸だけが静かな住宅街に響いていた。
「……星野さん、しっかりしろ。もうすぐ着くからな」
ユウは彼女がずり落ちないよう、その太ももをしっかりと支え直し、家へと急いだ。背中に感じる彼女の命の鼓動が、今はただ、ひどく愛おしく、そして危ういものに感じられてならなかった。
閉ざされた城の鍵と、高熱の異邦人数分という時間は、背負った彼女の熱の重みのせいで、永遠のようにも感じられた。ようやく辿り着いたマンションのエントランスは、人影もなく静まり返っている。
「部屋の前まで背負っていくからな」
「お願いします……」
耳元で漏れる声は、今にも途切れてしまいそうなほどに細い。ユウは彼女がずり落ちないよう慎重に支え直し、エレベーターに乗り込んだ。上昇する密室の中に、彼女の火照った体温と、甘く切ない吐息が充満していく。二階で扉が開くと、ユウは吸い込まれるように内廊下を進み、彼女の部屋の前で足を止めた。
「部屋の前まで着いたけど、親に見られるのはイヤだよな……俺はここで、帰るから」
もし厳格な両親が出てきたら、どう説明すればいいのか。ユウはそんな不安を口にし、彼女を床へ下ろそうとした。だが、熱で朦朧としているはずのソフィアは、すぐには答えなかった。数秒の空白の後、彼女はユウの肩に顔を埋めたまま、掠れた声で呟いた。
「……いえ、わたし一人暮らしなので……すみませんけど、これ……」
その言葉に、ユウは息を呑んだ。学園の女神とまで称される彼女が、こんな近くで一人、誰の助けもなく暮らしているのか。
ソフィアは震える手で制服のポケットを探ると、一本の鍵を取り出した。熱のせいで、指先がひどく覚束ない。彼女はその銀色の鍵を、迷うことなくユウの手のひらへと落とした。
掌に伝わる、鍵の冷たさと、彼女の指先が残した熱の余韻。それは、誰も踏み入ることが許されない彼女のプライベートな領域への、招き入れられた証だった。一人暮らしの彼女をこのまま放り出すわけにはいかない。
ユウは手渡された鍵を握りしめ、覚悟を決めるように重厚なドアの鍵穴へと差し込んだ。
初めての鍵、二人だけの不可侵領域静まり返った廊下で、手の中にある鍵がひどく重く感じられた。ユウはドアノブに手をかけたまま、自制心を振り絞って確認する。
「こんな時だけど、男子の俺が入っても……いいのか?」
一線を越えてしまうことへの躊躇。だが、ソフィアはユウの背中で熱い吐息を漏らしながら、どこか悪戯っぽく、掠れた声で囁いた。
「夜月くん……わたしなんかに、好意を抱いていないんじゃないですか……。それに、変なことをすれば……ユカちゃんに、言っちゃいますから」
弱々しいながらも冗談を口にする彼女の強がりに、ユウは思わず苦笑を漏らした。こんな状況でも知性を失わないのは、流石というべきか。
「あはは、それは困るな……。じゃあ、背負ったまま入るからな」
ユウが覚悟を決めて鍵を回すと、カチリと小気味よい音が響いた。ゆっくりと開かれたドアの向こうには、整頓されていながらも、どこか主の孤独を感じさせる静かな空間が広がっている。
「……実は、女子も家に入れたことは無いのですよ……夜月くんが、初めて家にあげる人です……他の人には、秘密ですよ。これで……二人だけの秘密が出来ちゃいましたね」
その告白と共に、背中に回されていた彼女の腕に、ぐっと力がこもるのが分かった。女子さえも招いたことがない、純然たる聖域。そこに踏み入る最初の人間が、俺でいいのだろうか。
ソフィアは恥ずかしさを紛らわせるように、熱を持った柔らかな頬をユウの首筋にぴたりと押し当ててきた。肌と肌が触れ合う境界線から、彼女の熱情と、女の子特有の甘く芳しい香りがダイレクトに流れ込んでくる。その無防備な信頼に、ユウの心臓は今日一番の激しさで跳ねた。
「分かった。秘密は守るから安心して……」
ユウは彼女の体温をしっかりと受け止めながら、誰もいない彼女の城へと一歩を踏み出した。背中で刻まれる彼女の鼓動が、今はただ、愛おしくて仕方がなかった。
女神の聖域と、剥き出しの信頼「はい。それは……心配はしていないですし、信用していますから」
背中越しに届く声は、熱に浮かされながらも、どこか凛とした響きを湛えていた。ユウは気恥ずかしさを誤魔化すように、わざと意地の悪い言葉を返す。
「そんなに簡単に信用したらダメだろ」
ソフィアは、ユウが自分を「一人の女子」として意識していることに薄々気づきながらも、それを嫌がるどころか、誇らしげに胸をときめかせていた。自分だけに見せる彼女の素顔。真夜中の静寂が、二人の距離をじりじりと、けれど確実にかき消していく。湿った髪と、思わず零れた本音の行方「えっと……こういう姿は、前回見ていましたよね……寝顔も見られてしまいましたし……」 ソフィアは膝を抱えるようにして、わずかに視線を伏せた。言い終えると、彼女はおずおずと顔を上げ、潤んだ瞳でじっとユウを見つめてきた。湯上がりで微かに湿り気を帯びた金髪が、さらりと頬に張り付いている。学校での「女神」の神々しさとは違う、石鹸の香りを纏った一人の少女としての生々しい美しさ。そんな姿をこんな至近距離で、それも深夜の密室で眺めているのだ。意識するなという方が、土台無理な話だった。「あの時は、そんなことを考えている余裕もなかったしな」 ユウは照れ隠しに、ぶっきらぼうに言葉を返した。実際、あの夜は熱を出して苦しむ彼女を助けることで頭がいっぱいだった。だが、今の言葉は裏を返せば「今は余裕があって、そんなことを考えている」と言っているようなもので。「そんなこと……ですか? ……いえ、なんでも……ない……です。夜月くんの……えっち。エッチです……うぅぅ……ぅぅ……」 ソフィアはユウの言葉の裏側に気づいたのか、耳の先まで一気に朱に染め上げた。彼女は慌てて近くにあったクッションを引き寄せると、逃げ込むように顔を埋め、小さくなって唸り声を漏らした。クッションに遮られてこもったその声は、甘く、どこか楽しげで、それでいてひどく恥ずかしそうで。(……反則だろ、それ) 普段の彼女からは想像もつかない、あまりにも子供っぽくて愛らしい仕草。クッションから覗く彼女の耳が、羞恥でぴくぴくと震えている。ユウは、どうにかして理性を繋ぎ止めようと、温かくなった紅茶を喉に流し込んだ。だが、静まり返った部屋の中で、クッションに顔を埋めたままの彼女が発する、柔らかで、けれど熱烈な「女の子」の気配を無視することなんて、到底できそうになかった。真夜中の名残惜しさと、深まる夜の余韻「だ、だよな……ご、ごめんな。つい、誘われたのが嬉しくて……夜中に一人暮らしの女の子の家に上がり込んじゃったけど……断るべきだったわ」 ユウは慌てて立ち上がる
彼女は一歩、玄関の土間へ踏み出し、彼を真っ直ぐに見据えた。「信用をしていますし、何かしましたら……ユカちゃんへ言いますから。どうぞ、ご遠慮なくお入りください」 ソフィアは、自分自身の内側から溢れ出す積極性に、驚きを禁じ得なかった。これまでの人生、誰も自分の聖域であるこの部屋に招き入れたことはなかった。親しい友人さえも踏み込ませなかったその境界線を、彼女は今、自らの手で取り払おうとしている。(わたし……どうしてしまったのかしら……) ユカの名を出して冗談めかしてはいるが、その瞳には真剣な熱が宿っていた。信用しているから。自分を助けてくれた、この不器用で優しい「騎士」にならば、すべてを委ねてもいい。無意識のうちに芽生えたその想いが、彼女をかつてないほど大胆にさせていた。 夜風が廊下を吹き抜け、薄いパジャマの生地を揺らす。差し出された招待に、ユウは困ったように眉を下げ、彼女のあまりにも純粋な信頼を前に、立ち尽くしていた。聖域の開放と、無防備な信頼「はあ。それでも、警戒はしておけよな……あまりにも無防備すぎて心配になるぞ」 ユウは観念したように大きな溜息を吐き出した。その表情には、彼女の身を案じる守護者のような危うさと、どうしようもない困惑が入り混じっている。「はい、もちろんです。ユウさん以外を誘うことは無いですし。ドアを開けることなどありませんので、ご安心をしてください。インターフォン越しにお断りをしていますし」 ソフィアは当然のことのように、けれど少しだけ誇らしげに胸を張った。その言葉に、ユウは心臓が跳ね上がるのを感じた。 そうだ。彼女は学校でも、そしてこのマンションでも、誰も寄せ付けない「氷の女神」だったはずだ。隙を見せるどころか、他人が自分に触れることさえ許さなかった少女が、今、目の前でパジャマ姿のまま、自分一人だけを招き入れようとしている。(目の前の美少女は別人なのか……無防備すぎだろ。反則だっての……ここまで言われて断るのも悪いよな。勇気を出して言ってくれてるのかもしれないし……) ユウは、彼女の背後に広がる暗い部屋を見つめ、自身の理性と戦っていた。女子の部屋。それも、あのお堅いソフィアの私室だ。けれど、彼女の瞳は潤み、期待と、そして自分を拒絶しないでほしいという微かな震えを湛えている。その「勇気」を無碍にすることは、今の彼にはでき
一人暮らしの部屋を襲う、不意の来訪者。ドクドクと耳の奥で早鐘を打つ心臓の音が、恐怖を煽り立てる。インターフォンのモニターへ手を伸ばそうとするが、指先は氷のように冷たく、震えて動かない。恐怖に押し潰されそうになった時、無意識に唇から零れたのは、今の彼女が最も信頼を寄せる人物の名だった。「……どうしよう。ユウくん……たすけて……」 その直後、手元でスマートフォンが震え、再び青白い光を放った。 ピロン♪ 震える手で画面を覗き込む。そこには、数分間の沈黙の答えが、彼らしいぶっきらぼうな優しさとともに綴られていた。『おーい。買ってこいと催促しておいて、居留守か? それ、ひどくね。まあ、ちょうどコンビニに用事があって……ユカにも買い物を頼まれてたから、ついでに買ってきてやったぞ』「……えっ?」 メッセージの内容を理解した瞬間、恐怖は霧散し、代わりに熱烈な喜びと驚きが胸いっぱいに広がった。返信が途切れたのは呆れられたからではなく、彼女の零した「困りごと」を解決するために、彼が即座に夜の街へと駆け出してくれたからだったのだ。 ソフィアは弾かれたように立ち上がると、パジャマの乱れを直す間も惜しんで、玄関へと走り出した。ただの冗談のつもりだった。それなのに、彼は本気で受け止め、こうして自分のために行動してくれた。 鍵を開け、重い扉を勢いよく開け放つ。そこには、少し息を切らし、片手にコンビニのレジ袋を提げたユウが、街灯の光を背負って立っていた。「……夜月、くん……」 冷たい夜風と共に、彼の温かな気配が流れ込んでくる。ソフィアは、安堵と、言葉にできないほど大きな幸福感に瞳を潤ませながら、扉の前に立つ自分の「騎士」を、蕩けるような甘い眼差しで見つめ返した。月光下のパジャマと、不器用な献身「えっと……その、冗談と言いますか、まさか本当に買ってきてくださるなんて思っていなくて……ビックリしちゃいました」 ソフィアは開いたドアの隙間から、困惑と喜びが混ざり合った声を漏らした。まさか、メッセージを送ってからわずか数十分の間に、彼が自分のために夜道を走ってくれるなんて想像もしていなかったのだ。「いや、それはいいからさ、牛乳を受け取ってくれよ。ついでに、卵も買ってきたぞ」 ユウは少し照れくさそうに視線を泳がせながら、手に提げたレジ袋を差し出した。 ソフィアは、その瞬
『ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ、ちゃんと生きていますから』 何度も打ち直しては消し、ようやく決めたのは、驚くほど素っ気ない、けれど精一杯の「強がり」を込めた短い返信だった。送信ボタンを押した瞬間、再び訪れる静寂。ソフィアはスマートフォンを胸に抱き寄せ、天井を見上げた。心臓の鼓動が、指先にまで響いている。たった数行のやり取りが、これほどまでに世界を輝かせて見せるなんて。彼女は暗い部屋の中、月明かりよりも柔らかな微笑みを浮かべながら、彼からの次の通知を、今か今かと待ちわびていた。夜の軽口と、甘やかな独占欲 すぐに届いた返信は、どこまでも過保護で、けれど逃げ場のなさを感じさせるほど真っ直ぐなものだった。『そうか、お前は強がりそうだけど。遠慮するなよ。すでに、お前の弱っている姿を見ているしな。困ってることがあれば何でも言ってくれ』 その文字を目にした瞬間、ソフィアは「弱っている姿」という言葉に、あの看病の夜を思い出して顔を真っ赤にした。けれど、それ以上に胸を占めたのは、これまでに味わったことのないような全能感に似た充足感だった。(……独り占め、ですね) 学校で誰にでも平等に接し、誰にも深入りさせない彼が、今はこうして自分だけのために言葉を紡ぎ、自分だけを心配してくれている。この電子の繋がりの中だけは、誰も邪魔者の入らない、二人のためだけの秘められた時間。 どう返せば、この楽しい時間が少しでも長く続くだろうか。指先を画面の上で遊ばせながら悩み、その贅沢な悩みさえも愛おしく感じる。 困っていること、と言われて、彼女はふと台所の様子を思い浮かべた。冷蔵庫の中、明日の朝には空になりそうな紙パックの姿。(……困っていること、そういえば……牛乳が無くなっちゃいますね……冗談で言ってみよう……かなぁ……) 普段の彼女なら、そんな些細な日常の欠乏を他人に零すなど、プライドが許さなかっただろう。けれど、今の彼女は少しだけ浮かれていた。彼に甘えるための、小さな「きっかけ」を求めていた。『……うるさいです。大丈夫ですよ、もおっ! ですが、ご心配ありがとうございます。ふふっ、では……今はですね、牛乳がなくなってしまって、困っているのですが……』 送信ボタンを押してから、彼女はベッドの上で身悶えるようにクッションに顔を埋めた。こんな冗談を言える相手がいることが
夜の帳が下り、四月の夜風が容赦なく体温を奪っていく。普段の彼女であれば、無意味な期待を抱くことも、誰かを当てもなく待ち続けることもしなかったはずだ。効率を重んじ、孤独であることを強さと履き違えていた「氷の女神」にとって、今の自分の姿はあまりにも滑稽で、あまりにも無防備だった。 数分、数十分。冷えた指先をパジャマの袖で隠しながら、彼女はカーテンが揺れるのを、彼がベランダに顔を出すのを、じっと待ち続けていた。だが、窓の向こうで人影が動く気配はあるものの、彼が外へ出てくる様子はない。 ふと、我に返ったように彼女の肩が小さく震えた。寒さのせいではない。自分でも説明のつかない行動に、激しい戸惑いを覚えたのだ。(わたし……何をしているんだろ……。寒空の下で、こんな……まるで待ちぼうけを食らっている子供みたいに……) 自分の中に芽生えたこの熱が、恋という名の色を帯びていることに、彼女はまだ気づくことができない。ただ、彼に会いたいと願う本能が、理屈を追い越してしまったことへの気恥ずかしさが込み上げてくる。 期待が裏切られたような寂しさと、自分自身への苛立ち。それらを吐き出すように、彼女は冷たい手すりに身を預け、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。「ユウくんの……ばかっ」 その言葉は、凍てつく夜風にさらわれて、誰に届くこともなく消えていった。けれど、口にした唇に残る微かな熱は、彼女の心がもう後戻りできない場所まで来ていることを、残酷なほど明確に物語っていた。深夜の通知と、高鳴る秒針「こんなにも……会いたいと思っているのに……一目でも良いのですけれど……」 冷たい夜風の中で漏らした独り言は、驚くほど素直で、切実な熱を帯びていた。ソフィアは、自分の指先が微かに震えている理由が寒さだけではないことに気づき、火照る頬を両手で包み込んだ。一目見るだけで、ほんの少し言葉を交わすだけで、この胸の痛みは消えるのだろうか。それとも、もっと深く、強く、彼を求めてしまうのだろうか。 彼女は自身の中に芽生えた不可思議な感情に戸惑いながらも、ふわりと恥ずかしそうに微笑むと、逃げるように自室へと戻っていった。 静かな夜が更けていく。手早く夕食を済ませ、机に向かって教科書を開くものの、文字が滑って全く頭に入ってこない。ペンを動かす手も止まり、どうしても視線は机の隅に置いたスマートフォ
けれど、頭で分かっていることと、心が感じることは別だった。自分の目の前で、他の誰かが――たとえそれが実の妹であっても――当たり前のように彼に触れ、その温もりを独占している。その事実を突きつけられた瞬間、ソフィアの胸の奥が、冷たい氷を押し当てられたようにぎゅぅっと締め付けられた。(……あ、れ。わたし、どうしたのかしら……) 視界が少しだけ揺らぎ、胸の奥からどろりとした、得体の知れないモヤモヤとした感情が溢れ出してくる。それは今まで生きてきて一度も経験したことのない、醜くも切ない、独占欲という名の暗い情動だった。ユカの純粋な笑顔が眩しければ眩しいほど、ソフィアの心には濃い影が落ちていく。彼女は膝の上で細い指を強く絡ませ、自分が抱いた初めての「嫉妬」に戸惑いながら、必死に平静を装うことしかできなかった。氷の微笑が溶ける時、知らぬ熱の痛み ソフィアは、自身の胸の奥で渦巻く感情の正体が分からず、ただ困惑に震えていた。これが世に言う「ヤキモチ」という感情であることに、彼女はまだ気づいていない。 今までの人生、彼女は自分が傷つかないように、誰とも深く関わらないよう透明な壁を築いて生きてきた。敵を作らず、けれど親しい友人も作らず、すべての人間に平等という名の無関心を振りまく。特に男子などは、その最たるものだった。下心を隠そうともせず、容姿の美しさだけに群がり、誰にでも愛を囁くような人種。彼女にとってそれは、平穏を乱すだけの厄介な存在でしかなかった。誰か一人にだけ特別に優しくすれば、必ず周囲の反感を買い、陰湿な嫌がらせが始まる。そんな人間の醜い本性を熟知していたからこそ、彼女は誰にも心を許さず、孤独な「女神」という椅子に座り続けてきた。 人間関係は浅く広く。深い付き合いを避けることで、誰かに興味を持つことも、誰かに心を乱されることもなかった。 だが、目の前の光景はどうだろう。親友であるユカが、兄であるユウに無邪気に抱きついている。その光景が網膜に焼き付くたびに、胸の奥が、心が、針で刺されたようにチクチクと痛み、言いようのない重苦しいモヤモヤとした感情が溢れ出してくる。(どうして……こんなに苦しいの。ユカちゃんは、お兄ちゃんが大好きなだけなのに……) 自分を落ち着かせようと努めるが、溢れ出した負の感情はどうすれば良いのか分からず、彼女の内で暴れ回る。表面上の軽い会